R.I.P. Steely
Wycliffe “Steely” Johnson (AUGUST 18 1962 – SEPTEMBER 1 2009)
9月1日にSteely&ClevieのSteelyがニューヨークの病院で他界しました。子どものころからキーボーディストとして活躍し(さらにプロデューサー、エンジニアとしても)ダンスホールの歴史上のほとんどのヒット曲に彼は参加しています。自分にとっても憧れの偉大なプロデューサーのひとりで、彼らのレーベル”Steely&Clevie”(通称スティクリ)の大ファンでした。
初めて会ったのは2001年の、自分の初めてのフルアルバム「RYO the SKYWALKER」の制作だったと思いますが、本当に伝説の人物でありながら気さくに接してくれて、いつもオレらが行くとまわりのヤツに”日本はスゴい”自慢をしてくれるほどの日本好きでした。それがいざトラックメイキングに取りかかると何かが取り憑いたようにVibesを放ち、のってくるとそれを相方のClevieがうまく捉えてすかさずレコーディングします。作ってるときのSteelyはホントに頑固でw、しかしうまくいくと満面の笑顔を見せ、まるで子どものようでした。
この8年ほどの間に自分の作品としても、古くは「西向く侍」(2001)や、Tancoさんがジャマイカの”STUDIO 2000”でベースをプレイした「CHICAGO」(2002)、有坂ミカちゃんとのDrum & Bass「Hide & Seek」(2005)、NG-HEADとの「Pirates Anthem」(2002)、コンピ「How To~2」内の「Get On The Train」リディム(2003) 、テリーとのコンビ「I-Grade No.1」”Carnival”リディム(2006)、んで最新作は今回の「Love-a-Dub~」に収録されてる、これまたNGとの「The Bommer」!!以上7つの楽曲のトラックはどれもSteely&Clevieによるものです。
この他にも客演やコンピの曲でスティクリ産のものもあると思われます。さらには「晴れわたる丘」(2007)のMIX DOWNもSTEELY個人にやってもらったものなんです。
憧れの大プロデューサー、お茶目なジャマイカのおじさん、自分にとってどちらの彼もとても大きな存在でした。それを同時に失ったようで、本当に悲しいです。彼から教わったいろんなこと、驚きの裏話とかまた思い出したらどんどん書こうと思います。
R.I.P STEELY. 明日のレゲエ祭ではSteelyのトラックを2発入れます。
といってる先から、大昔のRYO the SKYWALKER DIARYより、「HOW TO HUNT IN THE BUSH」制作時の記事発見したので抜粋。インターネットすご。
>第3のリズム”Carnival”は、本当に3年前のカーニバルの日につくられました。スタジオの外にパレードが来たとき、たまたまいてたNG-HEAD&Pam PamとかSteelyとかと、作業ほったらかして外へ見にいったりして楽しかったですわ。ちなみにそのときのパレードの様子はLIVE DVD”COME HOME TOUR 2005”に一瞬だけ出てきます。そういや、あの日は日曜日で、Steelyが「TaxiもAnswerも、ほとんどのBig Riddimは日曜日の朝に生まれたんや!!」というので日曜に作業したんやっけ(笑)。もちろん、2006年にリリースするにあたって、Steely本人に聞き直してもらって手直しなしでOK!!ということで、そのままMIXしました。基本がソカやしね。
STEELY入院時の記事 http://bit.ly/4hMk43
「The Bommer」制作当時のブログ(Thunder Roll 2008/03)
http://thunder-roll.rockers-channel.com/2008/03/steely-clievie-.html
「The Bommer」Mix Down時のブログ(Thunder Roll 2009/06)
http://thunder-roll.rockers-channel.com/2009/06/mix-down-with-s.html
Steely & me (2004)
Steely&Clevie, me (2008)
Steely, lady, Puffy (2009_this is my latest photo of Steely)












